家族との時間
主人の手術から、約半年。次女が留学先から戻る時も迎えてあげる事ができないまま、もちろん成人の日も、長女の大学卒業、就職祝いもできず、
とにかく主人の赴任先へ。
そばにいても祈ること以外には何もできず、
また離れている娘たちや、義父のお世話をすることもできず、ただひたすら不安と心配の毎日を過ごす。
考えても仕方ないことなのだけれど、どうしようもない恐怖に襲われる。
それに増してコロナウイルスが蔓延し、不安は更に追い討ちをかける。
自粛期間が続き、県を跨いでの往来もできなくなった。以前のような暮しなら何も考えず毎日を過ごしていたけれど、誰がいつコロナにかかってもおかしくない状況になり、安心して暮らせる世の中では無くなった。死は誰にでも訪れる。それはいつかは分からない。その恐怖が前よりずっと身近に感じるようになった。
このまま娘たちと会えないんじゃないか。
この不安はいつまで続くのだろう?
主人の治療が続く中、次女が浴室で倒れた。
幸い長女がいてくれて助かったが、さらに心配事が増えていった。重なる時は重なってしまうものなのか。
こんな時は何をしてても落ち着かないし、前向きになれない。心配してもどうしようもないのに、不安で眠れない日が続く。
何もできない、祈るしかない。
毎日のニュースは先ずコロナウイルスの話題からスタートする。東京の感染者、感染経路、
そして自粛、スティホーム。。。
まさかこんな事になるとは。
家族がこんなに長期に渡り離れ離れになってしまうなんて、生きてまた会えるだろうか?
電話やメールで声を聞き、励ましあって頑張った。カメラを使って話をすると顔が見られて嬉しい反面、切る時に寂しさが増してつらくなったりする。
私は弱い人間だなぁ。
そんな不安な毎日を過ごし、ようやく自粛解除、
県を跨いでの往来も全面解除された。
やっと、やっと戻れる。
大勢の人がこの時を待っていたはずだ。同じように、家族や恋人と長い時間会えなかった人たちが。
夫の治療も一段落。この機会を逃して、コロナの第2波がやってきたら、二度と戻れない気がした。
私たちは大阪へ向かった。
東京までの電車は換気をに各停で行き、
新幹線は比較的空いている指定席を選んだ。
あー長かったなぁ、、、
家族がこんなにも長く一緒に過ごせないことが、
寂しくて辛いことだとは思わなかった。
当たり前のように過ごしてきたけれど、
健康でいられること。働くことができる身体や環境があること、家族がいること、それだけで支えになっているということ。
欲しい物を買ったり、贅沢したり、普通に生活していく上で、必要以上に何かを求めて過ぎていた。
今ある現状に日々愚痴をもらして過ごしてきた。
何も分かっていなかった。
もうすぐ娘たちに会える。家に帰れる。
それだけで本当に嬉しかった。
何も要らなかった。
娘たちが駅まで迎えにきてくれていた。
暗かったので、見えてはいないが、
嬉しいのと、安堵から涙が溢れる。
やっと会えた。ほっとした。帰ってこれた。
家族で会えた。もう何も望まない。
この上ない幸せな時間だ。
強いと思っていたのに、一番寂しがり屋で子離れできていないのは親の私の方だった。
この半年、仕事と家事、学業、バイトもしながら、
祖父のお世話も頑張ってくれた娘たち。
段取りを考えたり、節約をしたり、野菜を冷凍したり、こんな機会がなければ、何もしなかっただろうことを経験し、感謝することを学んでいた。
あまり好きではなかった祖父とは、よく話すようになり仲良くなっていた。人生の大先輩の人の話をよく聞き自分の人生にも取り入れようとしていた。
家族の気持ちの大きな変化だった。
今気づく事ができてよかった。大切なものや感謝すること、思いやりの気持ち。
みんな元気で生きているということ。
毎日を大切に、時間を大切に。この気持ちを忘れないように共に日々を過ごして行こうと思う。
今までの生活や気持ちを改め、自分の成すべきことを一生懸命頑張ろう。
そして日々感謝するということを。